1班の生徒達は最終日となりました。3日目となり生徒達の表情や行動に変化が現れ修養学舎の成果が出てきています。閉校式に向かう姿勢と表情は開校式とは全く違ったものとなり3日間の修養行事の成果を感じることができました。1班の生徒の皆さんお疲れさまでした。この体験は必ず今後に生きてきます。
さてこの修養学舎では重要な神道行事が沢山ありますが、その中でも最も大切にしているのが男子は「禊」、女子は「豊栄の舞」を体験する事です。今日は男子の「禊」と「祓」について書かせていただきます。
男子生徒は5:30の起床の合図とともに身支度をして6:00には集合場所へ全員が集合。その後隊列を組んで一言もしゃべらず五十鈴川へ向かい「禊」を実施します。五十鈴川での禊後、内宮へ参拝。女子生徒は同時刻に講堂で集合しまずは内宮へ参拝します。参拝後は講堂での大祓詞奏上のあと書写を行います。1班の生徒達は男子生徒、女子生徒ともに早朝の静けさの中生徒達は心を落ち着かせて素直な気持ちで参拝を行ってくれました。
この「禊」は本校を卒業した男子生徒のほとんどが口をそろえて「今となれば貴重な経験をさせてもらいました。この様な経験はもう二度とする事もなく卒業後に伊勢に訪れた時には貴重な体験をさせて頂いた事に感謝の気持ちが湧き出てきます」と言ってくれます。
この「禊」を最初に行ったのは、日本神話における国生みの神様、「イザナギノミコト」です。『古事記』によれば、「イザナギノミコト」は、火傷を負って亡くなった妻のイザナミノミコトのあとを追って死者の国である黄泉の国へ出かけ、恐ろしい姿となった妻の姿を見てしまいます。逃げ帰ったイザナギは黄泉の国の穢(けがれ)を落とすために川に入って「禊」を行います。そのときに多くの尊い神様が生まれます。この時のイザナギの禊が神道に伝わったとされています。
「禊」の語源は「身削」「身滌」(みそぎ)から出た言葉とされ川や海に入ったり、滝に打たれたり、泉や井戸の水を浴びたりして罪穢(つみけがれ)という汚れを洗い流しすすぎ清めるのが「禊」であります。日本は水に恵まれた国でありその水は山から河川を通って海へと流れ国を清めている。日本独自の水に対する文化が水の浄化作用に対する信仰を育んだと言われています。この「水」によって穢れを洗い清め、清浄にする「祓(はらえ)」のことを「禊」と言います。
昨日のブログに書いた手水舎で手を洗い、口を清める作法をしますが、これはこの「禊」を簡略化したものであると考えられています。このように「禊」の意味を学ぶ事び、実際に禊を行う事の日常の生活の中で知らなかった事に気付かされることがたくさんあります。この修養学舎で行われる神道行事にはそれぞれの意味がありその意味を知ることで生徒達の姿勢や心構えが大きく変化して行きます。その変化が成長できるきっかけとなります。
神道の世界では私たちは自然の力に生かされ、助けられているという事への感謝の気持ちを忘れてはいけないという気持ちを大切にしています。その精神を基本にこの修養学舎で行われる神道行事は自分を再度見つめ直し新たな道へと導いてくれるきっかけを作ってくれるいい体験になると確信しています。
1班の生徒達は立派にやり切ってくれました。昼からは2班の生徒が伊勢の地に入りました。そして夕食後1班の生徒と同じように明日の朝の「禊」の練習に励んでくれています。2班の生徒達も最後の最後まで気を緩めることなく神道行事から一つでも多くの物を掴み取ってください。