伊勢修養学舎の1日は5:30の起床から始まります。男子生徒は「禊」を実施します。五十鈴川での禊後、内宮へ参拝。女子生徒は同時刻に講堂で集合し、まずは内宮へ参拝します。参拝後は講堂での大祓詞奏上のあと書写を行います。男子生徒、女子生徒ともに早朝の静けさの中、生徒達は心を落ち着かせて素直な気持ちで参拝を行ってくれました。
この男子生徒が行う「禊」は本校を卒業した生徒のほとんどが口をそろえて「今となれば貴重な経験をさせてもらいました。この様な経験はもう二度とする事もなく卒業後に伊勢に訪れた時には感謝の気持ちが湧き出てきます」と言ってくれます。
この「禊」を最初に行ったのは、日本神話における国生みの神様、「イザナギノミコト」です。『古事記』によれば、「イザナギノミコト」は、火傷を負って亡くなった妻のイザナミノミコトのあとを追って死者の国である黄泉の国へ出かけ、恐ろしい姿となった妻の姿を見てしまいます。逃げ帰ったイザナギは黄泉の国の穢(けがれ)を落とすために川に入って「禊」を行います。そのときに多くの尊い神様が生まれます。(ここでお生まれになったのが伊勢の神宮のご祭神である天照大神です。)この時のイザナギの禊が神道に伝わったとされています。
「禊」の語源は「身削」「身滌」(みそぎ)から出た言葉とされ川や海に入ったり、滝に打たれたり、泉や井戸の水を浴びたりして罪穢(つみけがれ)という汚れを洗い流しすすぎ清めるのが「禊」であります。日本は水に恵まれた国でありその水は山から河川を通って海へと流れ国を清めている。日本独自の水に対する文化が水の浄化作用に対する信仰を育んだと言われています。この「水」によって穢れを洗い清め、清浄にする「祓(はらえ)」のことを「禊」と言います。
お正月やその他の事で神社を参拝する事が多いかと思います。神社の境内にある手水舎で手を洗い、口を清める作法をしますが、これはこの「禊」を簡略化したものであると考えられています。このように「禊」の意味を学ぶ事で行う事の日常の生活の中で知らなかった事に気付かされることが今回の修養学舎にはたくさんあります。
神道行事にはそれぞれの意味がありその意味を知ることで生徒達はまた大きく成長できるきっかけとなります。神道の世界は自然の力に私たちは生かされ、助けられているという感謝の気持ちを忘れてはいけないという気持ちが込められています。
2日目朝の行事が終了しその後朝食を取った後も一日びっしりと行事が詰まっており生徒達は日頃体験できない神道行事を経験できたことで心の中に何か変化が出てきたのか行動や表情に変化を感じる事が出来ました。最後の最後まで気を緩めることなくすべての神道行事から一つでも多くの学びを掴み取ってください。まだまだこれからも修養が続きます。最後までやり切ること。頑張れ!1班の生徒諸君。