2021年7月2日金曜日

我慢と自己主張のバランス

 教員として30年近く、また親としても今まで生きてきた中で「我慢しなさい」というフレーズは何度も言った事を覚えています。しかしその逆に自分の意見や考えなどはきっちり相手に伝えないといけないとも言ってきたように思います。日本では”我慢は美徳”という考え方が根強くあり、”KY”という言葉は、相手の気持ちや場の雰囲気を読んで行動しなければならないという「自己抑制」を象徴している言葉として使われています。一方ではグローバル化が進み世界では我慢だけではなくきちんと自己主張できる人が求められるようになってきました。

“日本のいい子” と聞いて思い浮かべるのは「親や先生の言うことをよく聞いて、お行儀の良い子」、つまり自己抑制(我慢)がきく子。「みんなと仲よくしましょう」「人に迷惑をかけちゃいけませんよ」と教えられたと思います。みんなも覚えていると思いますが子どもの頃にほめられたのは、「嫌いなものを食べられたとき」や「遊んでいたおもちゃをねだられて弟や妹、またはお友だちに譲ったとき」など、我慢して行動できたときが多いのではないでしょうか?逆に、言うことを聞かず自己主張すると“わがまま”と思われたこともあると思います。このように日本では、協調性と礼儀正しさが求められる傾向があります。

ある先生の本を読んでみると

アメリカ人の子供でいい子と言われるのは自己表現ができる、自立した子。イギリス人のいい子は自己主張ができて自己抑制もきく子と書かれている本を読んだことがあります。その本の中には「自己主張すべき場面でも抑制すべき場面でも自己主張するアメリカ」、「自己主張すべき場面では主張し、抑制すべき場面では抑制するイギリス 」そして「自己主張すべき場面でも抑制すべき場面でも抑制する日本」。文化や慣習、考え方の違いもあるので、もちろん求められる “子ども像” は違って当たり前ですが、イギリスの例を知ると、自己主張と自己抑制は両立しうるものであると考えられます。

また、我慢(自己抑制)と自己主張はどちらも人格を形成するうえで必要かつ大事な能力なのです。まだ小さなうちは自己主張のほうが強く、バランスをとることは難しいですが、高校生になると精神的能力も発達してきており、だんだんとバランスは取れてきます。大事な事は「自己主張とわがままの境界線」であり、前者は「自分の理想」、後者は「理想が叶わない苛立ちからの甘え」をしっかりと認識していればこれからもバランスは保たれます。しかし「自己主張」といっても理性に基づくものと感情に基づくものでは大きな違いがあります。どうしても感情に基づく自己主張は「わがまま」ととらわれがちです。と書かれていました。

このように物事の考え方がグローバル化してきており世界標準的な理念が浸透してきています。これから社会に出て活躍する浪高生達には日本の文化と美徳を大切に秘めつつも、グローバルな人間性を身に付けていって欲しいと願っています。その為には失敗を恐れずに挑戦しかないと思います。誠実さを保ちながら周りにどのようなインパクトを与える事ができるかどうか。そこが大切ではないかと思っています。

まだまだ世の中には私たちには知らない世界が沢山あります。そんな世界を見てみる事で大きな発見と経験ができるでしょう。今期末試験に向って全力で挑戦している浪高生達の未来の活躍が本当に楽しみです。