「正論では革命をおこせない。革命をおこすものは僻論である。」この言葉は幕末の薩摩藩士西郷隆盛の名言の一つです。僻論(へきろん)とは、偏っていて道理正論に合わないことを指します。知っての通り西郷隆盛は幕末に活躍した人物で大久保利通、木戸孝允とともに「維新の三傑」と称され幕末から明治にかけて日本歴史の大きな岐路に関わった人物です。
私たちは人生においてもいくつかの「岐路」に立たされる事になります。選択した道によってその後の人生は大きく変わっていきます。私自身の人生を振り返った時少しだけ道理正論に合わない選択をしたこともあります。そんな選択をした事を「転機」と呼んでいます。西郷隆盛のような一つの国を動かすための選択ではありませんが自分の人生を大きく変えるかもしれない選択を迫られたときに最終的な決め手となったのはここで言う「僻論」だったようにも思います。
「自分の人生に転機が訪れる」ということは、ある意味「自分の人生に革命が起きる」と言ってもいいと思います。与えられた事だけをこなしている人は、転機が訪れる事無く、また転機というチャンスにも気づくことが出来ずに過ごしてしまうかもしれません。仕事も食事や睡眠の必要がない、スタミナが無限にあり正確性に優れた機械に置き換えられてしまう可能性もあります。また私たち人間は膨大な情報を瞬時に覚え、決して忘れる事のないAIにも到底及びません。
今みなさんは今日よりも明日、明日よりも明後日と日々充実した生活にする為に頑張ってくれています。コロナ禍の中、不安と闘いながらも成績を上げるために普段より10分でも多く学習時間を確保する。また部活動で活躍する為に練習だけではなく食事面でも研究しアスリートに合った食事を摂る。など小さなことかもしれないが、これらの行動は日常からみなさんに伝えているキーワード「挑戦」という気持ちから生まれてきます。このように人は未熟な部分はあるものの、いろんなことに挑戦することで自分の人生に革命を起こし、新しいアイデアなどを生み出すことが出来ます。これは人間にしかできない特権だと思っています。
神社神道の学校で学ぶ浪高生達には「今を一生懸命に生きる」という教育信念があります。自分の人生をより良いものにする為にこの教育信念は今後も忘れてほしくありません。それは努力という行動と、挑戦という気持ちがなければ実行することはできません。今後みなさんに必ず訪れる「自分の人生の岐路」でどのような選択をするのか。浪高生達にはこれからの人生を小さな革命を起こしながら自分にしかできない事に挑戦する気持ちをもって努力し、誇り高い生き方をしてほしいと願っています。