【こだまでしょうか、いいえ、誰でも。】
これは童謡詩人の巨匠と称された金子みすゞさんの詩から抜粋した言葉です。この言葉が使われている詩は、以前 CM でも使用されていたこともありますので知っている人もいるかもしれません。このフレーズが使われている詩『こだまでしょうか』の全文を紹介します。
『こだまでしょうか』
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「ばか」っていうと「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。そうして、あとでさみしくなって、
「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
今回の言葉にある“こだま”について考えると、やまびこのように自分の声が響いて返ってくるということですから、それは誰かの声や気持ちではありません。自分の声です。そこで『いいえ、誰でも』という“自分以外の誰か”の存在を示すことで『みんな一緒だよ』ということを伝えているのだと思います。『誰もが幸せを望んでいて、誰もが不安を抱えています。ですから、一方通行にならずにお互いの気持ちに寄り添っていきましょう。これは誰にでもできることなんですよ!』というメッセージだと感じました。
自分自身が発した言動や行動は全て自分自身に戻ってくる。この詩を読んでみると『伝え方』はさらに重要だと改めて感じさせてくれます。様々な状況下で生活する人々が共存しているわけですから、人間関係というものは非常に複雑です。些細な言葉の使い方を誤ったことによってトラブルに発展することは少なくありません。実際に会って目を見て話さなくても簡単に伝えることができる時代だからこそ、情報が多すぎて伝わらないことや聞いてもらえないこと、思うように伝わらないことがあると思います。“お互い様”の精神で、伝える前に“聞く準備”を整えてもらう作業も忘れないことで、お互いの気持ちを響かせ合えるのではないでしょうか。